レトロテント・ショートストーリー・シリーズ
レトロテントに魅せられて Vol.1
雨キャンで輝くマルシャル「セボンヌ6」
キャンプの朝、雨の憂鬱
ポツッ、ポツッ…。
テントの幕をたたく雨音で、僕は目を覚ました。
キャンプに来て、雨音で目を覚ます朝ほど憂鬱な気分にさせてくれるものも少なく、例え今回のキャンプの滞在が明日までだとしても、その気持ちは変わらない。
予報ではこの三連休は雨は降らないという話だったが、山の天気は変わりやすいものだ。
まぁ、そうは言っても明日までずっと降り続くということも無いだろう。
そんな祈るような気持ちで、僕は寝袋から抜け出した。
リビングとなる前室部分に出ると、ビニールの格子窓に降り注ぐ雨を目にすることが出来た。
もう一つの寝室からは、今回デビューとなったこの大きなテントで、遅くまではしゃいでいた妻と子供たちの寝息がまだ聞こえている。
彼女たちを起こさないよう、僕はジッパーを開けてテントの外に出た。
雨のまとわりつくような湿度と共に、少し肌寒い空気が僕を包むが、このテントのバルコニーとも言える玄関部分は、2本のフレームで支えられたひさしが張り出していて、そこまで出ても濡れることは無い。
しかもそのスペースだけでこのテントは3畳以上ものスペースがあり、バルコニーとキッチン、そして寝室部分まで合わせれば、実に14畳もの広さを誇る僕の新しいベース。
「セボンヌ6」という、フランス生まれのレトロテントのデビュー戦が、こんな雨になってしまったのはいささか残念だが、予報では今日の夕方にはこの雨も止むということなので、それまでは雨のキャンプをこのテントの中で楽しむしかない。
ひとめ惚れのレトロテント
SNSでおしゃれ系キャンパーたちが使っていたのを見て以来、僕たちファミリーのキャンプベースとして憧れ続けていたレトロテントだったが、先日ヨーロッパのレトロテントを専門に扱っている「パジャマ・ムーン」という業者をネットで見つけた。
そこで扱うレトロテントと言うのは、滞在型レジャーキャンプ発祥の地・欧州の各テントメーカーから製造されていたテントの総称で、主に1970年~80年代にかけて作られた年代物のテントが現在流通しているレトロテントと呼ばれている。
元々滞在型という目的で作られたテントだから、携帯性や簡便性よりはむしろ、頑丈で快適な居住性を求められていたため、そのほとんどは鉄骨(スチール)のゴツイ骨組みのようなテントフレームを組立て、その上に高級天然コットンの幕体をかけて立てられるという、家型(オーナーロッジ型)をしており、近年日本のキャンプ場で人気のワンポールテントやドーム型テントとは一線を画した、重くかさばるテントだった。
けれども鉄骨テントの別名を持つ骨組みは、少々の風は物ともしない堅牢性を持っていたし、雨に濡れると繊維自体が水を含んで膨張し、布としての防水性を持つ天然コットンは火にも強く、少々の雨でも天幕の下で火器が使えたりと、その居住性は現代のテントの比ではない…という話だった。
中でも僕は、レトロテントの本場フランスの代表的メーカーだというマルシャル社が製造していた、「セボンヌ6」というレトロテントが気になり、大枚をはたいて購入した。
そもそもレトロテントは元の値段も高価なものが多かったが、現在まで続いて製造されているテントはほぼ皆無なので、必然的に程度のいい中古=ヴィンテージものを探すことになり、それはまさに出会いものと言ってもいい買い物だ。
だから「パジャマ・ムーン」のサイトで「セボンヌ6」の気品あふれる姿を見た時は、必死になって妻を説得したものだった。
そうして僕の手元に来た「セボンヌ6」のデビュー戦が、今回の2泊3日のファミリーキャンプだったと言う訳だ。
僕の期待通り、明るいグレーの地に深い青と赤をあしらった、いかにもフランス的なおしゃれな色合いの幕体は、昨日このキャンプ場で立てた後も、周辺のキャンパーから声をかけられる数が今までとは段違いな程目立っていたし、妻や子供たちの評価も上々だった。
昨夜はテントのリビングにあたる前室部分に4人用のイスとテーブルを並べ、ひさしの下にキッチンテーブルとバーベキュー用の炭火コンロをセットするという、SNSで見た憧れのキャンパーたちを習ったサイトセッティングで家族の夕食を楽しんだのだが…。
とは言っても雨か…。
僕は心の中で小さくため息をついた。
雨を眺めてモーニングコーヒー
「おはよう」
憂鬱な気分で雨を眺めながら佇んでいた僕の背中に、まだ眠たそうな妻の声がかかった。
「ああ、おはよう。コーヒーでも飲むかい?」
振り返ってそう言うと、僕はリビングと外を隔てる幕のジッパーを大きく開けた。
少しよどんだテント内の空気が一気に入れ替わるのを感じながら、ひさしの下に2人分のディレクターズチェアを引っ張り出し、脇に置いたコンテナボックスから長年愛用しているコーヒーセットを取り出した。
携帯式のミルにお気に入りの豆を2人分入れ、カリカリとハンドルを回すと、テント内になんとも言えないコーヒー豆の香りが漂いだす。
妻は1脚のディレクターズチェアをひさしの下に持って行くと、雨を眺めながら寝乱れた黒髪に手櫛を入れていた。
それを横目に僕は、立ったままSOTOのシングルバーナーに火を点け、独身の頃から愛用している年季の入ったケトルに水を入れてそっと乗せた。そうしておいて妻と僕のマグカップを2つ用意する。
若い頃から好きだったコーヒーを、自分で毎朝挽いて入れるようになったのはいつ頃からだったろう?
その習慣は結婚して2児の父親となった今でも続いていて、自宅にいる時にもコーヒーを淹れるのだけは僕の仕事だった。おかげで一連の動作は、キッチンのガスコンロがキャンプ用のバーナーに変わっただけで、目をつぶっていても出来るルーティーンだ。
やがて「セボンヌ6」の幕内にコーヒーの芳しい香りが広がり、僕は2つのカップを持って妻の元へと行った。そして、片方を彼女に差し出す。
「ありがとう」
一言だけ呟くように言うと、妻はカップを大事そうに両手に抱えた。
その隣のチェアに腰を下ろすと、僕は手にした愛用のカップに慎重に口を付けた。
「ふぅっ…」
思わず声を洩らしつつ、チェアに深く座り直す。
そうして、なんとなく天を見上げる。…が、そこにあるのは雨空ではなく、「セボンヌ6」の大きな天幕のライトグレーだ。
ほんの1m、いや、ちょっと手や足を伸ばせば、しとしとと降り続く雨に濡れてしまう状況ではあったが、そんな雨をぼーっと見つめながら、僕たちはただ黙ってディレクターズチェアに座って、2人でコーヒーを飲み続けていた。
輝く朝のレトロテント
降りしきる雨とコーヒーの香り。
「セボンヌ6」の天幕の元、それだけを感じながらゆったりと流れる朝の時間を感じていると、キャンプ場で迎える雨の朝も、悪くは無いように感じられて来るのが不思議だった。
そんなことを思いながら、ふと周囲に目をやれば、この降り続く雨の中にいくつものテントが佇んでいた。
その姿は、まさに雨中で身を潜める亀の甲羅のようにも見える。
きっとどのキャンパーも朝の雨に、憂鬱な気分を抱えテントの中で肩を落としているのかもしれない。
翻って僕…いや、僕たち家族の新しい宝物となったレトロテントは、雨の中でも雄々しく気品溢れる姿で佇んでいる、というのは僕の贔屓目だろうか?
それでも、僕の目には雨中に佇む「セボンヌ6」の天幕は、他のどのテントよりも輝いて見えた。
きっとこのあと起きてくる子どもたちも、今日1日はこのお城のようなテントの中で、思う存分遊んでくれるに違いない。
そんなことを思いながら僕は、隣で黙ってカップを抱えている妻の顔を見た。
その視線に妻も気づき、僕に笑顔を向けた。
憂鬱な朝の雨が、キラキラと輝く朝へと変わった。
レトロテントに魅せられて Vol.1
雨キャンで輝くマルシャル「セボンヌ6」
<FIN>